アフマートヴァ詩集 ロザリオ より



そのとき私は地上の客となった

与えられた洗礼名は—アンナ

人の唇と耳にこよなく快い

私は不思議なくらい地上の快楽に詳しく

祝日は十二日どころか

一年にある限りの日々と心得ていた

秘密の命に私は従い

自由な仲間を友とし

太陽と樹々だけを愛した

いつか過ぎゆくとある夏の日 見知らぬ女に

夕映えの黄昏どきに出逢い

一緒に暖かい海で水浴びをした

その装いは風変りにみえたが

唇はもっと奇妙で 話すことばは

九月の夜降る星のようだった



すらりとしたひとは泳ぎを教えてくれた

激しい波には不慣れな

私の身体を片手で支え

ときおり青い水の中で

ゆっくり私と話してくれたが私にはそれは森の梢が

微かにざわめくか砂がさらさら鳴るか

銀の声で葦笛が

別れの宵を歌うように聞こえた

けれど彼女のことばは覚えられず

夜更けによく胸が痛んで目がさめて

私には半ば開いた唇が

彼女の瞳やなめらかな髪が見えるような気がした

天の御使いに祈るように

私は悲しげな乙女に哀願した

〈教えて どうして記憶は消えてしまうの

あんなに悩ましく快く耳にふれながら

あなたは繰返しの喜びを奪うの?……〉

たった一度だけ葡萄を

篭に集めていたときだった



浅黒い女が草のうえに座り

目を閉じおさげ髪を垂らして物憂げに

ずっしりと稔った青い実と

野生のはっかの刺すような香りにぐったりとして

そのひとは魔法のことばを

私の記憶の蔵に入れた

一杯になった篭を落して

乾いたむっとする地面に私は倒れた

愛を歌う恋人に身を投げかけるように



          一九一三年 秋

(アフマートヴァ詩集 ロザリオ より 木下晴世訳)